ひとりごと

このブログはパイプフィクションです

終売ダンヒルとマッコーネルの対応銘柄

ダンヒルの美味くて安かったパイプタバコが消えて、パイプ界隈からは悲鳴が聞こえたが、その後、ピーターソンがレシピを受け継いで再び販売されるようになった。2019年頃だっけ???

ダンヒルミクスチャー965は本当に美味いタバコだった。安かったし。

 

ピーターソンが、ダンヒルから販売ライセンスを受け継ぐ前に、実はロバートマッコーネルが対応する銘柄を各種出した。名まえが微妙に似ているレプリカ商品といった趣のもの。色んな事情があったみたいで、すぐに販売されなくなり、まったく新しい名前で再登場し、再び購入可能となった。その対応表を記録しておく。

 

ダンヒル」⇒「ロバートマッコーネル」の順番で書いていく。

 

ダンヒルマイミクスチャー965⇒メルリボーン

ダンヒルロイヤルヨット⇒パディントン

ダンヒルフレーク⇒フレーク

ダンヒルナイトキャップ⇒コヴェントガーデン

ダンヒルロンドンミクスチャ⇒ピカデリーサーカス

ダンヒルアーリーモーニング⇒ブティックブレンド

とりあえずこの辺りが、代表的なもので、記録に残しておいた。最近は、もうピーターソンがダンヒルのレシピを受け継いで出してくれたので、話題にものぼらないが、ロバートマッコーネルでもレプリカを出したので。今は、もうダンヒルのレプリカだったという事もすっかり忘れ去られて、フツーに美味いタバコとして売っている。

 

他のも一応記録。「ダンヒル」⇒「マッコーネル」、の順番で。

ダークフレーク⇒ブラックフレーク

アペリティフ⇒セントジェームスパーク

ダーバーミクスチャ⇒オリエンタルスクエア

スリーイヤーズマチュアードバージニア⇒5イヤーズマチュアードバージニア

デラックスネイビーロールス⇒ハイゲート

エリザべシアンミクスチャ⇒リージェントストリート

スタンダードミディアム⇒オックスフォードストリート

レディーブラド⇒レディーブラド

スタンダードミクスチャ⇒ノッティンヒル

イカーストリート⇒バーキンロード

オールドサイン⇒シェイクスピア

MMBB1938⇒ラタキアミクスチャー1848

 

ピーターソン(旧ダンヒル)の値段は2024年現在、2600円なのに対して、ロバートマッコーネルは2200円。

 

400円も安いんだよね!

 

 

どうも味が落ちた気がして困っていたパイプ

注意

*大事にしてるパイプのエボナイトとかを長時間、水洗いすると変色しますので気をつけてください。自分がマウスピース(ステム)水洗するのは日常使い用のパイプのみです。オキシクリーン漬け・アルコール漬けによる洗浄が面倒臭い時はぬるま湯でもある程度汚れは落ちるという記事です。*

 

このパイプ、こんな不味かったか?と数か月もの間、困って頭を悩ませたパイプがあった。いくら掃除しても、味が薄い感じがして、何を試してみても、あまり美味しくない。

しっかりアルコールに浸したモールで煙道を何度も掃除した。もちろんマウスピース側も。

それでも味が戻らず。

 

ふと、これは、マウスピース側の内側にヤニなどの匂いとかカタマリが染みついていて、それのせいで不味くなってしまったのではないかと思いついた。

すぐに洗面所で、ぬるま湯で何度も何度も中まで水洗いした。(ぬるま湯です。高温だとダメです。変形します)

口で拭いてみたり、水を吸ってみたりした。すると、ヤニ臭い。何度も何度も洗ううちに匂いもとれた。

洗い終わったら、すぐにティッシュで拭いて、中もなんどもモールを通して、口で、ふうっと空気を入れて乾燥させた。

 

すると、久しぶりに驚くほど「まろやかな煙」が復活していた!!!恐ろしく美味いと思えた。これこれ、この「まろやかさ」。ほんとうに、マウスピースを洗ってみる、という解決方法を思いつくまで、あれこれ試して、ようやく昔の味に戻ってくれた。

 

 

マウスピースの内側に、どうも、アルコールとモールだけでは汚れが取れない場合があるのかも。ぬるま湯で落としてやると、パイプの味が激変するかも!

 

ぬるま湯をマウスピースの穴に流し込んでいる時、ものすごいヤニの臭い匂いがけっこうな時間していた。アルコールとモールだけではとれないヤニ成分がマウスピースの内側にはあるのかも。

水分で変色してしまう材質のものは、即、水分をふき取る。モール通して水分をとる。ビンテージのエボナイトなんかは変色しやすいのでやめた方が・・・。

ゼッタイに変色させたくない人は自己責任で。まあ変色しても、磨けば元に戻りますが。

タバコの喫煙所について

喫煙者の中に、いまだに自虐している人もいるが、もう世の中の空気が変わってきた。

 

「昨今の風潮では、喫煙者は肩身が狭いですね^^;」とか苦笑いして自虐する必要もなくなってきている。

 

タバコ及び喫煙者に対する風潮、世間の風当たりが、明らかに変わってきている。「高い税金払ってくれているんだし、マナーさえ守ってくれれば、喫いたい人はご自由にどうぞ」みたいな感じに変わってきている。

ほとんどの喫煙者は、きちんとマナーを守っているし、ポイ捨てしたりしない。ごくごく一部の喫煙者が、マナー違反をするわけだが・・・。それは例えば酒も同じだろう。ほとんどの人が酒で迷惑をかけたりはしないのだが、ごくごく一部の人が・・・・。

 

煙草に対して、一部の人々がせっせと醸成してきた「嫌煙の雰囲気」も、行き着くところまで行き着いたのかもしれない。今はもう、本当に煙草好きの人しか喫っていない感じもする。『大多数の人の嗜好品』から、『少数派の趣味』、みたいなものに変わってしまったから、喫煙所をわざわざたくさん作るのは難しいのだろうか??税収から考えれば、喫煙所というか、街角に灰皿くらいはもう少し設置してあっても良い気がする。

 

これは無暗やたらに、喫煙の権利を主張しているわけではない。ただ、これだけ多額の税金を喫煙者は国におさめているのだから、少しは煙草が喫える場所があってもいいのではないかな、と思うだけだ。「国にいっぱい税金おさめてくれてるんだから、灰皿くらい、他人の迷惑にならないくらいの場所、街角にもう少しあってもいいのではないかな」と思う繰り返すが、もちろん、煙草を喫わない方達の迷惑にならないところに、だ

 

自分には、あまりに煙草の害を言い立てて、煙を閉じた場所におしこめようというのは異様な感じがする。街角に煙くらいあってもいいではないか、という気がする。(もちろん、喘息の人などに対する配慮は必要だが)

本当に、副流煙にそれほど害があるのだろうか??喫煙率が下がっても、肺がんはちっとも減っていない。排気ガスかも?

副流煙の害を言い過ぎたせいで、喫煙所は閉じた場所にしなければならなくなってしまったのかもしれないが、外であれば、別にわざわざ建物を作らなくてもいい気がするのだが・・・。ただ灰皿だけ置いてあれば。

 

アルコールのせいで、どれだけ多くの人の人生や仕事が奪われたかわからないが、少なくとも、煙草で人生は奪われはしない。アルコール摂取による交通事故や、アルコール依存症で破滅コースの人は数多くいるが、煙草でそういう事は起こらない、という意味。喫い過ぎはもちろんダメだが・・・。

「煙草ばっかりワルく言われるのはなんか変だ」そういうことを言う人が増えてきた。

 

世の中のバランスが、変わってきている。

 

 

 

 

煙草の依存性について6

結局、何であっても、過度の依存というのは危険であるという結論に至る事となった。

嗜好品は、適度、適量、適切に。

まるで冴えない標語のようだ。

が、大事な事は、常に、誰でも知っているような事だ。

 

パイプは、趣味と言われる訳も、合点がいくだろう。

パイプは文化なのだ。

半分は、煙を味わいつつ、半分は、パイプの美しさに浸り、思索をひろげる。物思いに耽る。一日を終えるための儀式であり、一日を振り返りつつ、あれこれと物を考える甘美な時間。大人は、問題に対して、甘い幻想を抱いて逃げるわけにはいかない。現実的に物を考えるのに、あまりに辛いこともあるから、パイプ煙草というトモダチがいるのである。

お気に入りのパイプを手に入れた時のパイプスモーカーの喜びっぷりは半端ない。

ベッドの脇に置いていて、見つめながら眠るパイプスモーカーもいるそうだ。

半分は、パイプという器というか、物語を楽しんでいる。

喫うのに手間がかかるし、片付けもしないといけないし、掃除も面倒だ。だが、それが良い、というのがパイプだ。

それらはすべて、依存しないための防護柵の役割を果たしていたのだと、ようやく気付いた。インスタントになってしまったら危険なものはいっぱいある。現代性の特徴のひとつに、インスタント、というものがある。忙しくなって、量だけ大量に増えていき、中身はスカスカで依存させてくる。それが現代の特徴です。

 こういう言葉は使いたくないが、いわゆるヤニカスと呼ばれる方々は、ニコチン供給が全てなので、『パイプというもの』には、はじかれてしまうのだろう。彼らはパイプには「出会えない」。

 それにしても、パイプ煙草にあるあの感じは何なのだろうか。電子タバコでは絶対に満たされない何かが、パイプにはある。

(シガレットの悪口を書いてしまったかもしれないが、吾輩は、実はシガレットだってけっこう好きである。ただ喫わないだけだ。たまにシガレットを買って、喫いもせず、封も切らずに、旅行鞄などに入れて置いているだけ。)

 

吾輩自身は、パイプは審美的な側面よりも、道具としての側面を大切にしている。美しいから、という理由でパイプを購入する事はない。でも、パイプは、どうしてもただの道具だとは言い切れないところがある。パイプを、まさに道具として、道具的に使う人もいるが、そういう人でも、たんなる道具以上の愛着を持っている。

インディアンが持っているパイプは呪術用の道具みたいに見えるが、現代のパイプ作家の作るパイプも、どこか呪術用の道具に見えない事もない。

吾輩も、時々、喫う場所もないのに、なんとなく、パイプとパイプ葉とマッチを、ひょいっとポケットに入れていく時がある。まるで、お守りみたいに。はるかいにしえの、古代人たちは、なんとなく動物の皮を腰に巻いて、パイプと葉っぱを入れて森の奥に入っていっていた気がするのである。

 

パイプの面倒臭さが、パイプ煙草の良さを保っているんだろうと思う。依存者が購買層に多いと、供給される商品もひどいものが出来上がってくる。企業がおかしなものを売り始めたら、買う側が、買わない事が大事だ。もう吾輩は、良い煙草しか買いたくない。

 

よく考えたら、パイプというものは、時代に反逆している。現代では、1個の商品が、100年も長持ちしてしまっては困る。経済がもたないからだ。なんでも常にインフレだ。拡大していかなければ、資本主義はもたない。だから、企業は、ある程度の年数で壊れるような商品を開発しないといけなくなる。ちょっと昔の機械製品などは、メンテナンスもなしでもう50年くらい動き続けているものを、吾輩は持っていて、使っていたりする。信じられるだろうか。メンテなしだ。メンテなしで、どこの部品を変えることもなく、現役で使えているのだ。そんな商品を出してしまったら、企業は倒産だ。これも仕方ない事ではある。

ところが、パイプなんて、大事に使えば、本当に100年くらい使えてしまう。ふつう、ビンテージといえば、50年前なら、立派なビンテージと言えるが、パイプの場合は100年も前のものを平気で使う人がいる。50年、60年も前の使い込まれたボロボロのパイプが、レストアすることで新品同様になってしまう。これは、パイプ業界、どうやって食っていってるのか心配になってしまう。これだけ喫煙人口が減ってきて、大丈夫なんだろうか。

 

やはり、吾輩はパイプ煙草が大好き過ぎる。パイプを愛でるのが楽しい。たまの休日に、映画を見ながら、パイプのメンテナンスや掃除をするのは、もうめちゃくちゃに楽しい。

 

そうこう言っているうちに、もう吾輩は、パイプの掃除だけしていればいいような気もしてきた。それだけで楽しいから。次にタバコを喫うのはいつになるのだろうか。もう何日も喫っていない。まさかこのまま喫わない、なんてこともあるのだろうか。

 

次に喫うのが楽しみだ。それが、来世で、という事にならなければいいが。

煙草の依存性について5

吾輩は、専門家では無いし、煙草の依存性について書いているからといって、嫌煙家とかではまったくない。愛煙家である。

 

煙草を美味しく喫うために、煙草の負の側面である依存性について書き、気をつけさえすれば、煙草は十分に依存せずに楽しめるという事を書きたいのである。

 

いま、吾輩は、煙草を喫わないまま、20日が過ぎようとしている。

パイプスモーカーは、こういう事ができる。喫わないなら、喫わないでOKなのだ。

 

煙草を喫っていない間に、煙草の依存性について考えてみたいと思う。

 

依存というものに注目して、本を幾つか読んでいるうちに、アルコール依存症関連の本も読んでみた。やはり、アルコールは別格というか、怖すぎる。

煙草の依存なんて、アルコールに比べたら、屁でもないように吾輩には思われる。

アルコールの依存症は、ガチンコで人生を終わらせてしまう。アルコール依存症というのは、点滴しないと立てないところまで飲み続けるらしい。

と・こ・ろ・が。

煙草で人生は破綻しない。どれだけ煙草を喫っても、まあ、アルコールほど脳がぐちゃぐちゃになる事はないからだ。まあ、寝不足くらいにはなるだろうな。あと肺や喉は傷めるだろうし。

やはり、どう考えても、アルコールの方がこわい薬物であるのに、なぜ、これほどまでに、煙草ばかりが世界からワルモノ扱いされるのだろうか??よくわからない。

話が逸れた。

アルコール依存症についての本だが、小田嶋隆氏の『上を向いてアルコール』とうい本を読んでみた。

そこに「連続飲酒発作」という言葉が出てきたから、これを改造して、「連続喫煙発作」という言葉を作ってみた。

(元の文章は引用しない。興味のある方は『上を向いてアルコール』をどうぞ)

吾輩がシガレットに依存していた頃は、朝から晩まで煙草を吸いまくっていた。肺がズキズキ痛んでも、吐き気がしても、睡眠不足になっても、体が弱っても吸うのを止められなくなっていた。発作的に吸いまくってしまうという現象だ。

依存しないように、喫煙量を調整しようとしても、ある時を境に、もう我慢できなくなって、吸いまくる羽目に陥る。自制心は消え去る。

どうも、煙草には、ある一定量を越えると、もう自制心が効かなくなるレッドゾーンのようなものがあるように感じる。そこを越える前に、休煙日に入ってしまえばいいわけだが。あるいは、ニコチン抜きの日、とでも言おうか。

 

アルコールの連続飲酒発作には、ここには書けないような「逸脱行動」があるらしい。(それも『上を向いてアルコール』の本文にあるのでどうぞ)

おいおい。煙草をどれだけ喫っても、「逸脱行動」なんてしないぞ?むしろ集中力は上がるくらいだ。いや、だからこそ煙草ばかり喫っている作家みたいな連中がたくさんいるわけだが。

やはり、なぜ、アルコールは文化的にOkで、煙草が現代(2023年現在)ではワルモノ扱いなのか、吾輩にはわかりかねる。

(どうしても、煙草について書こうとすると甘くなる。どうしても煙草の味方をしたくなってしまう。)

小田嶋氏は、アルコールに依存するのに、「特に理由はない」としている。更に、「酒では現実逃避できない」ともしている。これは煙草依存にも言えるのではないだろうか。特に理由なく喫い、特に理由なく煙を口から出すのに面白みがある。

そう、特に理由なく喫うのがいけないのだ。一仕事終えてから、喫う、とか、自分のルールが必要だ。それが大人の嗜みだ。

そういえば、昔、庭で、職人さんが、一仕事終えて、ふっと煙草を吸っているのを見た。わざわざ車の中に入って喫っていらっしゃった。ぜんぜん、うちの庭だったら、堂々と喫ってほしかった、という場面を思い出した。あんなふうに、一仕事終えてから喫うのが大人の嗜みだ。朝起きて、とりあえず喫うのは少しカッコ悪いかもしれない。

 

あと、依存をもってる人は、癖のある人が多い感じはする。どっか性格に癖がある。いや、一人称が「吾輩」である吾輩も、けっこうやばい感じはあるが・・・。

というか、そもそも、シガレットとか、今の流行りで言えば、タコスだか何だか知らないが、アイコスか。電子タバコとかに行かずに、今時、パイプたばこという前時代の遺物のようなものにたどり着く者たちというのは、一体何なのか?ある日、突然、パイプを喫おうと思った日のことを、パイプスモーカー全員に聞いてみたい気はする。

吾輩の場合は、まったく何の前知識もないまま、一目みてしっくりきたパイプと葉っぱを買い込んでいた。気づくと買っていたので、吸い方もわからないまま、数か月放置していた記憶がある。面白いものだ。

また話が逸れたが、依存的なものを持っている人間というは、やっぱりどこか癖がある気がする。何にも依存していない人種のあのさっぱりとした雰囲気とは、やはり違うものが顔にあらわれているように思う。

そう、あとは、煙草に依存すると、食物の栄養を吸収し辛いということを聞いた事がある。依存顔というのはあるのかもしれないな。だが、下手に、これこれこういう感じの顔は依存顔だ、なんてフザケタ事を言うつもりはない。そんなものは差別にしかならない。なんとなく、雰囲気とか印象のようなもので、そもそも言語で表現できる類のものではない。

 

煙草に依存すると、何もかも面倒臭く感じて、何もしなくなる。これは良く無い。生活に必要な最低限以外、何もしたくなくなる。ちょっと今日は夜に歩きに行こうか、とか、今度の日曜日は、自転車でどっかに出かけてみないか?と誘ったりする事がなくなる。ひらすら、煙草を喫いたくなる。上を向いてアルコールによると、これが、アルコール依存症になると、トイレに行くのも面倒でペットボトルにするそうだから、やはり、アルコールはやばい。

というか、やはり依存は危険だ。その対象が何であっても。

 

 

 

煙草の依存性について4

これまで、煙草の依存性について、パイプ煙草においては、パイプスモーカーは、依存性をあまり感じない人が多いということを主張してきた。(パイプスモーカーでもガッツリ煙草依存症の人もいるので、依存しないとは言っていない)実際に、パイプスモーカーは、1日に1ボウルだけ、あるいは、たまに時間がとれた時だけ、みたいな喫い方をする人も多い。

 

シガレットで煙草依存に陥ると、かなり辛いものがあることは事実。ニコチン、煙草は、かなり依存性の強い薬物であることは、喫煙者はよくよく認識しておいた方が良い。肺喫煙のニコチン依存は、ほんとうに辛過ぎる。(パイプは口腔喫煙で天然のニコチンを徐々に摂取する)

 

依存すると、頭の中は、ニコチン塗れになって、ドーパミンをドバドバ出しまくったせいで、耐性が出来上がり、報酬系の感覚が麻痺状態に陥ってしまう。あの「煙草がないと、なんか人生おもしろくない」といった面倒臭い感覚だ。人間は、本来、辛い事でも、面倒な事でも、何をするにも、ちょっとした楽しさがある。楽しさを見出せるようになっている。それが無ければ、とても仕事なんて出来たもんじゃない。それなのに、報酬系が麻痺状態になってしまうと、ちょっとした時に出くわす景色の美しさ、とかに反応できなくなる。煙草の喫い過ぎは、薬物依存なのだと認識しておかないと、昭和のおじさんたちのように、それこそもう、1本ずつ喫うのが面倒になって、10本くらいいっぺんに、口にくわえて喫うことになる。(昭和のおじさんはそんなことしない。あれは浦安鉄筋家族のおっさんだ)

 

 

身体的な依存は、3日から1週間で抜けてしまうので、それほど辛くない。辛いのは精神依存の方だ。

 

実際、長年の喫煙者は、3日か1週間で元気いっぱい、元に戻ることはないと知っている。何かあちこち不調があったり、眠気がしたり、ボロボロになる。10年、20年と煙草に依存するほど喫い続けたら、そりゃあ、簡単にはもとに戻らないだろう。

「煙草をやめるのは簡単です。1週間もすれば離脱症状はなくなります!」うん。喫煙歴1年とかだったら、そっから楽になるだろうね・・・

長年の依存者は、だいたい3か月間くらいは、禁欲鬱なるものに襲われる可能性はあると思う。あるいは、1年憂鬱が続くかもしれないし、3年かかるかもしれない。虚無感に苛まれて、いったいいつ、禁煙鬱が明けるのかと、耐え続けなければならない。

 

自分の場合は、喫煙歴15年ほどで、「もうこれはダメだ」と気付き、煙草依存を脱することにした。

しっかりいちど数年間は禁煙して、シガレットを肺喫煙で喫いまくってボロボロになった体を元に戻して、それから、パイプたばこに移行した。

なんで、こんな文章を書いているかというと、煙草はやめなくていいから、ちゃんと節制できるようになれば、十分に煙を楽しめるということを伝えたかったからだ。依存者は、煙を楽しんでいない。煙草に依存しちゃうと、煙草が美味しくないのだよ。

 

ただし、節制が身に着かない人には、パイプたばこもすすめないが。おそらく、生まれながらの依存体質、という方は存在するのだと思う。そういう人にはおすすめできない。

 

肺喫煙シガレットの依存を脱して、数年間きっちり禁煙し、体と神経系を元に戻したら、パイプたばこを楽しめる日がやってくる。

 

毎日、朝から晩まで20本も40本もシガレットを喫っていた喫煙依存者が、週に一度、日曜日にゆったり1ボウルか2ボウルパイプたばこをふかして、「ほんとうに美味しいなあ」、と満足を得られて、そこで「はい、次の日曜日までまたパイプはお預け」と節制できるようになったら、素敵ではないか。

(パイプたばこはすごい面倒な部分もあるので、ヤニカスは卒業してから挑戦してくれ。あとパイプ喫うなら、品良く喫ってくれ)

煙草の依存性について3

煙草について雑文を書いているので、煙草の利点と危険性についても、きちんと書いておかないといけない。

 

世間的には、「煙草とは、依存してしまうもの」というのが大方の人の認識だと思う。

ところが、実際には、煙草とは使い方を間違えなければ、つまり、口腔喫煙にすれば、依存はしないし、美味しい煙草を楽しめる、と何度か主張してきた。

実際に、研究論文によると、ニコチンには大した身体的依存はないと言われている。

酒で人生を破滅させた人は数多いが、煙草で破滅した人は聞いた事がない。

(でも、やっぱり煙草は嗜好品なので、ちゃんと使わないと依存してしまうので危険な面もある)

 

煙草は、アルツハイマーを予防、改善すると言われている。自分としては、ボケるよりは、ほどほどに煙草を楽しんで、自分を失いたくないと思う。

(ほんとうはもっとあるが、面倒なので書かない。調べるとたくさんニコチンの効用は出てくる。)

 

煙草は、美味しいものだし、利点もあるが、やはり、下手な使い方をすると、依存してしまうよ、というのはベテランスモーカーがちゃんと初心者に教えるべきだと思う。

 

もう煙草を喫う大人がだいぶ減ってしまったし、ちゃんと年長のものが初心者に物を教えるのは当たり前のことだ。

 

依存というものについて、数冊、本を読んで勉強してみた。

依存はどうやら複合的に起こるらしいから、例えば、酒がやめられない人や、性的な依存を抱えている人は、煙草はやらない方がいいと思う。また、やはり、ストレス発散が煙草ひとつしかない、という人も依存に陥る危険がある。ストレスの発散先は、複数持っておくのが良い。

1か月のうち、じぶんはどういうシチュエーションで、どういう時に煙草を喫いたいと思うか、どれだけの予算を煙草に注いで良いか、そういう当たり前の事をしないという人は、意外といる。

また、パイプたばこの場合は、煙草には依存しないが、パイプの購入には依存している人もわりと、自分のまわりにはいる。高値のパイプを買い込んで、嫁にはたまのケーキも買って帰ってやらない、というようになるまでパイプに入れこみ過ぎるのもどうかと思う。

とにかく、いろんなところで、自己点検できる人間にならなければ、嗜好品に溺れずに使うのは難しい。だが、煙草を楽しむくらいの自制心は、大人になる過程で身に着けられる。少し、我慢を覚えればいいだけだ。