ひとりごと

煙草に関するあれこれ パイプフィクション

煙草の依存性について5

吾輩は、専門家では無いし、煙草の依存性について書いているからといって、嫌煙家とかではまったくない。愛煙家である。

 

煙草を美味しく喫うために、煙草の負の側面である依存性について書き、気をつけさえすれば、煙草は十分に依存せずに楽しめるという事を書きたいのである。

 

いま、吾輩は、煙草を喫わないまま、20日が過ぎようとしている。

パイプスモーカーは、こういう事ができる。喫わないなら、喫わないでOKなのだ。

 

煙草を喫っていない間に、煙草の依存性について考えてみたいと思う。

 

依存というものに注目して、本を幾つか読んでいるうちに、アルコール依存症関連の本も読んでみた。やはり、アルコールは別格というか、怖すぎる。

煙草の依存なんて、アルコールに比べたら、屁でもないように吾輩には思われる。

アルコールの依存症は、ガチンコで人生を終わらせてしまう。アルコール依存症というのは、点滴しないと立てないところまで飲み続けるらしい。

と・こ・ろ・が。

煙草で人生は破綻しない。どれだけ煙草を喫っても、まあ、アルコールほど脳がぐちゃぐちゃになる事はないからだ。まあ、寝不足くらいにはなるだろうな。あと肺や喉は傷めるだろうし。

やはり、どう考えても、アルコールの方がこわい薬物であるのに、なぜ、これほどまでに、煙草ばかりが世界からワルモノ扱いされるのだろうか??よくわからない。

話が逸れた。

アルコール依存症についての本だが、小田嶋隆氏の『上を向いてアルコール』とうい本を読んでみた。

そこに「連続飲酒発作」という言葉が出てきたから、これを改造して、「連続喫煙発作」という言葉を作ってみた。

(元の文章は引用しない。興味のある方は『上を向いてアルコール』をどうぞ)

吾輩がシガレットに依存していた頃は、朝から晩まで煙草を吸いまくっていた。肺がズキズキ痛んでも、吐き気がしても、睡眠不足になっても、体が弱っても吸うのを止められなくなっていた。発作的に吸いまくってしまうという現象だ。

依存しないように、喫煙量を調整しようとしても、ある時を境に、もう我慢できなくなって、吸いまくる羽目に陥る。自制心は消え去る。

どうも、煙草には、ある一定量を越えると、もう自制心が効かなくなるレッドゾーンのようなものがあるように感じる。そこを越える前に、休煙日に入ってしまえばいいわけだが。あるいは、ニコチン抜きの日、とでも言おうか。

 

アルコールの連続飲酒発作には、ここには書けないような「逸脱行動」があるらしい。(それも『上を向いてアルコール』の本文にあるのでどうぞ)

おいおい。煙草をどれだけ喫っても、「逸脱行動」なんてしないぞ?むしろ集中力は上がるくらいだ。いや、だからこそ煙草ばかり喫っている作家みたいな連中がたくさんいるわけだが。

やはり、なぜ、アルコールは文化的にOkで、煙草が現代(2023年現在)ではワルモノ扱いなのか、吾輩にはわかりかねる。

(どうしても、煙草について書こうとすると甘くなる。どうしても煙草の味方をしたくなってしまう。)

小田嶋氏は、アルコールに依存するのに、「特に理由はない」としている。更に、「酒では現実逃避できない」ともしている。これは煙草依存にも言えるのではないだろうか。特に理由なく喫い、特に理由なく煙を口から出すのに面白みがある。

そう、特に理由なく喫うのがいけないのだ。一仕事終えてから、喫う、とか、自分のルールが必要だ。それが大人の嗜みだ。

そういえば、昔、庭で、職人さんが、一仕事終えて、ふっと煙草を吸っているのを見た。わざわざ車の中に入って喫っていらっしゃった。ぜんぜん、うちの庭だったら、堂々と喫ってほしかった、という場面を思い出した。あんなふうに、一仕事終えてから喫うのが大人の嗜みだ。朝起きて、とりあえず喫うのは少しカッコ悪いかもしれない。

 

あと、依存をもってる人は、癖のある人が多い感じはする。どっか性格に癖がある。いや、一人称が「吾輩」である吾輩も、けっこうやばい感じはあるが・・・。

というか、そもそも、シガレットとか、今の流行りで言えば、タコスだか何だか知らないが、アイコスか。電子タバコとかに行かずに、今時、パイプたばこという前時代の遺物のようなものにたどり着く者たちというのは、一体何なのか?ある日、突然、パイプを喫おうと思った日のことを、パイプスモーカー全員に聞いてみたい気はする。

吾輩の場合は、まったく何の前知識もないまま、一目みてしっくりきたパイプと葉っぱを買い込んでいた。気づくと買っていたので、吸い方もわからないまま、数か月放置していた記憶がある。面白いものだ。

また話が逸れたが、依存的なものを持っている人間というは、やっぱりどこか癖がある気がする。何にも依存していない人種のあのさっぱりとした雰囲気とは、やはり違うものが顔にあらわれているように思う。

そう、あとは、煙草に依存すると、食物の栄養を吸収し辛いということを聞いた事がある。依存顔というのはあるのかもしれないな。だが、下手に、これこれこういう感じの顔は依存顔だ、なんてフザケタ事を言うつもりはない。そんなものは差別にしかならない。なんとなく、雰囲気とか印象のようなもので、そもそも言語で表現できる類のものではない。

 

煙草に依存すると、何もかも面倒臭く感じて、何もしなくなる。これは良く無い。生活に必要な最低限以外、何もしたくなくなる。ちょっと今日は夜に歩きに行こうか、とか、今度の日曜日は、自転車でどっかに出かけてみないか?と誘ったりする事がなくなる。ひらすら、煙草を喫いたくなる。上を向いてアルコールによると、これが、アルコール依存症になると、トイレに行くのも面倒でペットボトルにするそうだから、やはり、アルコールはやばい。

というか、やはり依存は危険だ。その対象が何であっても。