ひとりごと

煙草に関するあれこれ パイプフィクション

たばこと経済

うろ覚えだが、煙草⇒シガレットは、発展途上国では、かなり喫われているらしいが、国が成熟してくるあたりで、禁煙運動が盛んになるらしい、というようなものを読んだ気がする。制度がまだ未熟な状態で、国家と人の間の軋轢が激しく、どんどんとGDPが伸びていくような時期は、肺喫煙用のフィルター付きシガレットがよく売れる。

更に、シガレットは、フィルターがついてから、ガンの発生率が急増したという統計もあるようだ。(これも本の記述の一節に過ぎないので、その統計のデータをちゃんと調べてはいない)シガレットのフィルター無しは、格好悪いという風潮があったそうな。今で言えば、ヤンキー文化の中で、肺まで入れない「ふかし」喫いはカッコ悪い、というような感じか。(煙草は、ほんらい、ふかしで喫うのが美味いのだが)

上記の二つのことを鑑みれば、いろいろと謎が解けてくる。

フィルター無しの紙巻タバコは、口腔喫煙だったはずだ。それが、フィルター付きになって、肺喫煙し、内臓から直にニコチンを吸収し、脳まで数秒で煙草を喫う満足感を得られるようなインスタントな形態に、煙草がなってしまった。これは、依存を誘発し、朝から晩までがむしゃらに働き続けるような、ハードな働き方をする人は、非常に助けになる。

 今、オフィスで働いて、たまにジム通いやサウナを楽しみにして、今時煙草なんて喫わないよ、と言いつつ、自宅では酒も飲まずに嫁の入れてくれた健康的なハーブティーを飲んでいるような人種は、煙草が助けてくれるなんてことはわからないだろう。戦後、炭鉱で働いていた労働者みたいな感じを想像して貰えたらいいと思う。はっきりいって、煙草無しでは辛い。

 ひとを依存させてしまうインスタントな煙草の形態の極致が、あのシガレットというやつだ。(別にシガレット批判をしたいわけではない。紙巻タバコも、ふかしで喫えば美味いのだし)そして、そういうシガレットみたいなものが意図(デザイン)されたのは、経済の発展と密接に関りがあるらしい事に気づいた。

 近代化が終わって、現代的な暮らしが始まって、次第に煙草というものが社会の片隅においやられていく。こういう構図はどこの国にでもあるみたい。

 今、煙草を喫っている人というか、そのパーセンテージが、本来、煙草好きな人々の数なのかもしれない。バーッととりあえず80%くらいの男を煙草に魅了させて、バリバリ働かせまくる、には、『依存』が必要になってくる。戦場で煙草が必要なように。

 ワレワレは、依存を拒否しなければならない。戦場から逃げ出さなければならない。戦争や国家の発展のウラガワを、ワレワレは、誰も、何も知らない。