ひとりごと

煙草に関するあれこれ 吾輩は専門家ではありません。ここに書いてある煙草の知見は、本で読んだレベルなので正確ではない場合があると思いますので、ご了承願います。あと、吾輩という人物はフィクションです。

煙草を喫う権利に疑問を持つ人へ

喫煙者が煙草を喫う権利を声高に主張したいわけではない。

そうではなくて。

喫煙者が「もう少し喫煙所とか、外でもいいから灰皿くらい置いてある場所があってもいいのではないか」と提案するのは、あくまでも、「多額の税金を国におさめているから」であって、ただ闇雲に「煙草を喫わせろ」と言っているわけではない。

そして、最も重要なのが

「煙草を喫わない非喫煙者も、90年代くらいから税収2兆円を維持、というとんでもない額の税金をおさめてくれている喫煙者をいじめないで、喫わせてやった方が、お互いにWin-Winな関係でいられる」ということだ。

「喫煙の権利を主張する喫煙者ってどう思います?」みたいな感じの非喫煙者の知性ある若者がいたとしよう。若いから、まだお金もあまりないと思う。いや、君たちの世代は、かなり長期間に渡って、私たち老人が恩恵を受けたほどの経済な豊かさを得ることは、現状できていない。喫煙者が減ればへるほど、その分のとんでもない負担は、非喫煙者の君たちにいくのだよ?

煙草は喫わせてやった方がいいし、さすがにこれ以上の増税をやると、喫煙率が大幅にダウンして、逆に税収は減ってしまう恐れがある。

主張ではなく、提案である。

 

 

 

*近頃、(とうか、2020年以前)少し前まであった嫌煙の流れが沈静化していて、なぜだろうと不思議に思っていた。だんだん、非喫煙者が気づいてきたのだ。煙草の税収が減ると、いずれ自分たちから税金をとられることになると。高い税金を払ってまで自分から喫いたい人は貴重なのだと。

煙管と小粋

パイプオンリーになってからも、ときどき、異様なくらいに小粋を喫いたくなる。小粋は本当に旨い。

あんなに旨い煙草があるのに、わざわざ舶来のパイプを喫っている意味がわからん、とも思う。いや、思わん。パイプも旨い。

パイプがすぐに過燃焼してしまうとか、パイプタバコの味がよくわからない、とかいう人は、小粋と煙管で練習したら、パイプは楽に喫えるようになると思う。千円くらいの安い短い煙管でも十分美味いし、むしろ短い方がちょっと喫い辛くて、練習になるかも。っていうか、自分は短い煙管で練習したから、パイプは余裕・楽勝で喫えた。

ワレワレ、もともと煙管とか、小粋みたいな細かいふわっとした刻みを喫っていた器用な民族なのだから、パイプくらい楽勝で喫えてしまう民族だと思う。

というか、外国の方のパイプスモーカーたちの動画を見ていると、けっこう盛大にぶかぶか煙をふかしている。日本人は、「パイプは、ほとんど煙はたたないくらいで、一筋すうっと細い煙がたつくらいでちょうどいい」なんていうが、ぶはーっと外国の方が煙吐いてるのを見て、なんだか茶道だの、刻み煙草だの生み出したワレワレ、なんでも、「芸道」とか「道」にしちゃうのオモシロおかしい(笑)。

作家物のパイプめちゃ沢山コレクションしているくらいのパイプスモーカーのくせに、「自分の喫煙技術なんてまだまだで」とか、そういう言い方している人いっぱいいて、面白いよね。ぜんぜん皮肉じゃないよ。ワレら、ふつーに面白い民族だなって思うヨ。

パイプの本数

持っているパイプの数が少ないという人がたまにいて、なんだか羨ましいと思った事がある。

10本に満たないパイプの数で満足できている人、である。

カゴの中に無造作に5~6本のパイプが放り込んである、という感じで、そのうちの特に4本くらいはかなり使いこまれていて、2本くらいが、外出用というか、人前では綺麗なものを持っていたいという心理が働くのか、見かけが比較的綺麗なものだった。

たったそれだけのパイプの数で、事足りるのか、私にはよくわからない。十分にパイプは乾燥しているのだろうか、とか、心配してしまう。が、当人はまったく満足しているようで、パイプを完全に道具とみなしているのがわかる。

潔い。

私も、彼のように、パイプはまず喫煙のための道具で、あまり審美的価値に重きを置かないタイプのパイプスモーカーではある。しかし、やはり多少のフェティシズムのようなものはあって、実用品として、道具としての美しさは追及しているようだ。

古井由吉という作家がいた。透徹した文体の、極めて禁欲的なところから文が湧いて出ている文章家で、古井氏の過去の「近影」が写されたものを見ていると、作業机にパイプが2本あったのが目についた。かなり使い古されたパイプで、噛む部分も酷く(あるいは見事に?)変色している。2本のよく使い込まれたパイプが、これもまた完全に道具として使われてきた喫うためだけの作業用パイプといった趣きがある。

古井氏がどれくらいのパイプを所有されていたのかはわからないが、写真を見る限り、いつもよく見かけるパイプが映されている事が多く、それほど多くのパイプをコレクションする必要性を持たない方だったのではないかと予想している。

 

5~6本のパイプだけで、長いパイプ人生を送っているという人は少ないのだろうと思う。「どうしてもパイプは増えてしまう」「なぜか気づいたらパイプが増えていた」などと言われるくらいだから。

そういう10本に満たないくらいのパイプで、パイプ収集には満足してしまって、あとは煙草を喫うだけだ、という風になってみたいものである。

齢85になって、いちどはパイプコレクションを手放してしまったのに、いまだに至高の1本に出会うかもしれない、というおかしな期待があって、たまにパイプを買っている。今は、もうこの年齢だから、買った分は、必ず手放すことにしているので、増えはしない。が、減りもしない、というわけだ。

 

そういえば、私もパイプを2本をしか所有していなかった時代があった。まだ若い頃で、パイプを喫い始めたばかりで、金もなかったから、買えなかったのだ。さすがに1本だけでは、すぐにパイプが濡れてしまって、味が薄くなるから、もう1本を買うために書籍などを売り払って、2本を交互に喫った。今みたいに何でもかんでも大量生産される時代ではなかったから、本を売るのもそれなりの金になった。

そういえば、2本だけで、どうやって私はパイプを楽しんでいたのだろうか。金がなく、貧しい暮らしをしていたが、当時は煙草無しではとても生きていく事が出来ないと思い込んでいた。そこから長い年月が経って、部屋がパイプで満たされるくらいにパイプを買えるようになったときには、もうその2本のパイプはどこかへ行方不明になっていた。

惜しい事をした、のだろうか?そういうパイプこそ、持っておくべきだったのかもしれない。

とにかく、あの若かった頃に、たった2本のパイプで、煙草を喫って恍惚とした事はしっかりと覚えている。あの頃は、本当に煙草が美味かった。今の煙草の質が落ちた、とか言いたいわけではまったくない。若くて気力と体力が充実している方が、煙草の味は美味いと感じるものだ。年衰えると、少しの煙で満足するようになる。が、その満足も、きっと若い頃に比べたら、薄いものなのだろう。

それでも、やはり、煙草は美味い。

 

喫煙が見直されてきている世の中の風潮

流行り病の直前辺りが、喫煙者に対するおかしな世論形成の動きを感じる最高潮だった気がする。

流行り病で人々がストレス過多になり、タバコが見直されてきた可能性はある。だいたい、今の若い世代は、少し可哀そうなくらい、お金が無い暮らしを強いられている。そういう生活にこそ、タバコは束の間の安息を与えてくれるものとして、重宝されるはずなのに。

 

ニュースサイトやSNSなどで、喫煙者に対する意見が明らかに変化してきている。流行り病の前までは、「無くなればいい」「法規制すればいい」「もっと値段あげろ」などという無茶苦茶な暴論が飛び交っていたが、今は「たくさん税金払ってくれてるんだから、自分は喫わないけど、喫煙所をつくってきちんと分煙してくれればOK」などという声が多数を占めていたのに驚いた。喫煙者ではないのに「煙草ばっかり値上げするのは可哀そう」という人までいて、ちょっと本気でびっくりしてしまった。喫煙者に対して、無茶苦茶なことを言う人が明らかに減った。

 

そもそも、今の懐事情の苦しい若い世代が、煙草の美味さを見出したら、絶対にはまる。しかも、ワレワレの世代より、上手に煙草を使うはずだ。「昼間は外では喫わないけど、夜だけ家の中でじっくり1時間くらい喫う」「週末だけ、手巻き煙草を楽しみながら、映画を見るのが至福のひと時」、といった若い連中が増えている。ヤツらは、周到に依存を避け、上質な煙草を週末だけ楽しむ、あるいは、1日夜の時間帯だけ楽しむ、という上手な煙草の楽しみ方を覚えてやがる。ワレワレの世代なんか、朝起きたら、まずは顔を洗う前に一服、食後に一服、出勤前に一服、駅前で一服、仕事前に一服、休憩に一服、昼食後に一服・・・という風に、とにかく起きている間は、常に煙をまとわせていた。はっきり言って、狂ってタよネ・・・

 

とにかく、タバコは最高に美味いし、煙を吐きだすのは最高に楽しい。煙を吐いたら、輪っかが出来ちゃった時なんてサイコーにおかしくて腹を抱えて笑っていられる。「あ~輪っか出来た~」って。映画を見ながら煙草と珈琲を楽しめば、ほんとうに精神にゆとりが出来るぞ。人生を少しでも豊かなものにしたいなら、煙草は喫った方が良い。何度も言って申し訳ないが、金のない若い世代が精神的に少しでもゆとりをもって、この厳しい世の中を居心地よくするために、少し煙草を吸うくらい、許されて然るべき。ああ、煙草が喫いたくなってきた。

 

 

 

 

 

終売ダンヒルとマッコーネルの対応銘柄

ダンヒルの美味くて安かったパイプタバコが消えて、パイプ界隈からは悲鳴が聞こえたが、その後、ピーターソンがレシピを受け継いで再び販売されるようになった。2019年頃だっけ???

ダンヒルミクスチャー965は本当に美味いタバコだった。安かったし。

 

ピーターソンが、ダンヒルから販売ライセンスを受け継ぐ前に、実はロバートマッコーネルが対応する銘柄を各種出した。名まえが微妙に似ているレプリカ商品といった趣のもの。色んな事情があったみたいで、すぐに販売されなくなり、まったく新しい名前で再登場し、再び購入可能となった。その対応表を記録しておく。

 

ダンヒル」⇒「ロバートマッコーネル」の順番で書いていく。

 

ダンヒルマイミクスチャー965⇒メルリボーン

ダンヒルロイヤルヨット⇒パディントン

ダンヒルフレーク⇒フレーク

ダンヒルナイトキャップ⇒コヴェントガーデン

ダンヒルロンドンミクスチャ⇒ピカデリーサーカス

ダンヒルアーリーモーニング⇒ブティックブレンド

とりあえずこの辺りが、代表的なもので、記録に残しておいた。最近は、もうピーターソンがダンヒルのレシピを受け継いで出してくれたので、話題にものぼらないが、ロバートマッコーネルでもレプリカを出したので。今は、もうダンヒルのレプリカだったという事もすっかり忘れ去られて、フツーに美味いタバコとして売っている。

 

他のも一応記録。「ダンヒル」⇒「マッコーネル」、の順番で。

ダークフレーク⇒ブラックフレーク

アペリティフ⇒セントジェームスパーク

ダーバーミクスチャ⇒オリエンタルスクエア

スリーイヤーズマチュアードバージニア⇒5イヤーズマチュアードバージニア

デラックスネイビーロールス⇒ハイゲート

エリザべシアンミクスチャ⇒リージェントストリート

スタンダードミディアム⇒オックスフォードストリート

レディーブラド⇒レディーブラド

スタンダードミクスチャ⇒ノッティンヒル

イカーストリート⇒バーキンロード

オールドサイン⇒シェイクスピア

MMBB1938⇒ラタキアミクスチャー1848

 

ピーターソン(旧ダンヒル)の値段は2024年現在、2600円なのに対して、ロバートマッコーネルは2200円。

 

400円も安いんだよね!

 

 

どうも味が落ちた気がして困っていたパイプ

注意

*大事にしてるパイプのエボナイトとかを長時間、水洗いすると変色しますので気をつけてください。自分がマウスピース(ステム)水洗するのは日常使い用のパイプのみです。オキシクリーン漬け・アルコール漬けによる洗浄が面倒臭い時はぬるま湯でもある程度汚れは落ちるという記事です。*

 

このパイプ、こんな不味かったか?と数か月もの間、困って頭を悩ませたパイプがあった。いくら掃除しても、味が薄い感じがして、何を試してみても、あまり美味しくない。

しっかりアルコールに浸したモールで煙道を何度も掃除した。もちろんマウスピース側も。

それでも味が戻らず。

 

ふと、これは、マウスピース側の内側にヤニなどの匂いとかカタマリが染みついていて、それのせいで不味くなってしまったのではないかと思いついた。

すぐに洗面所で、ぬるま湯で何度も何度も中まで水洗いした。(ぬるま湯です。高温だとダメです。変形します)

口で拭いてみたり、水を吸ってみたりした。すると、ヤニ臭い。何度も何度も洗ううちに匂いもとれた。

洗い終わったら、すぐにティッシュで拭いて、中もなんどもモールを通して、口で、ふうっと空気を入れて乾燥させた。

 

すると、久しぶりに驚くほど「まろやかな煙」が復活していた!!!恐ろしく美味いと思えた。これこれ、この「まろやかさ」。ほんとうに、マウスピースを洗ってみる、という解決方法を思いつくまで、あれこれ試して、ようやく昔の味に戻ってくれた。

 

 

マウスピースの内側に、どうも、アルコールとモールだけでは汚れが取れない場合があるのかも。ぬるま湯で落としてやると、パイプの味が激変するかも!

 

ぬるま湯をマウスピースの穴に流し込んでいる時、ものすごいヤニの臭い匂いがけっこうな時間していた。アルコールとモールだけではとれないヤニ成分がマウスピースの内側にはあるのかも。

水分で変色してしまう材質のものは、即、水分をふき取る。モール通して水分をとる。ビンテージのエボナイトなんかは変色しやすいのでやめた方が・・・。

ゼッタイに変色させたくない人は自己責任で。まあ変色しても、磨けば元に戻りますが。

タバコの喫煙所について

喫煙者の中に、いまだに自虐している人もいるが、もう世の中の空気が変わってきた。

 

「昨今の風潮では、喫煙者は肩身が狭いですね^^;」とか苦笑いして自虐する必要もなくなってきている。

 

タバコ及び喫煙者に対する風潮、世間の風当たりが、明らかに変わってきている。「高い税金払ってくれているんだし、マナーさえ守ってくれれば、喫いたい人はご自由にどうぞ」みたいな感じに変わってきている。

ほとんどの喫煙者は、きちんとマナーを守っているし、ポイ捨てしたりしない。ごくごく一部の喫煙者が、マナー違反をするわけだが・・・。それは例えば酒も同じだろう。ほとんどの人が酒で迷惑をかけたりはしないのだが、ごくごく一部の人が・・・・。

 

煙草に対して、一部の人々がせっせと醸成してきた「嫌煙の雰囲気」も、行き着くところまで行き着いたのかもしれない。今はもう、本当に煙草好きの人しか喫っていない感じもする。『大多数の人の嗜好品』から、『少数派の趣味』、みたいなものに変わってしまったから、喫煙所をわざわざたくさん作るのは難しいのだろうか??税収から考えれば、喫煙所というか、街角に灰皿くらいはもう少し設置してあっても良い気がする。

 

これは無暗やたらに、喫煙の権利を主張しているわけではない。ただ、これだけ多額の税金を喫煙者は国におさめているのだから、少しは煙草が喫える場所があってもいいのではないかな、と思うだけだ。「国にいっぱい税金おさめてくれてるんだから、灰皿くらい、他人の迷惑にならないくらいの場所、街角にもう少しあってもいいのではないかな」と思う繰り返すが、もちろん、煙草を喫わない方達の迷惑にならないところに、だ

 

自分には、あまりに煙草の害を言い立てて、煙を閉じた場所におしこめようというのは異様な感じがする。街角に煙くらいあってもいいではないか、という気がする。(もちろん、喘息の人などに対する配慮は必要だが)

本当に、副流煙にそれほど害があるのだろうか??喫煙率が下がっても、肺がんはちっとも減っていない。排気ガスかも?

副流煙の害を言い過ぎたせいで、喫煙所は閉じた場所にしなければならなくなってしまったのかもしれないが、外であれば、別にわざわざ建物を作らなくてもいい気がするのだが・・・。ただ灰皿だけ置いてあれば。

 

アルコールのせいで、どれだけ多くの人の人生や仕事が奪われたかわからないが、少なくとも、煙草で人生は奪われはしない。アルコール摂取による交通事故や、アルコール依存症で破滅コースの人は数多くいるが、煙草でそういう事は起こらない、という意味。喫い過ぎはもちろんダメだが・・・。

「煙草ばっかりワルく言われるのはなんか変だ」そういうことを言う人が増えてきた。

 

世の中のバランスが、変わってきている。