ひとりごと

パイプフィクション

イギリスで最悪の法案が可決されてしまった・・・

イギリスにて、2009年以降に生まれた人への煙草販売の永久禁止する法案が可決された。なお、たばこの所持や喫煙行為は禁止していないとのこと。

 

なんて最低の法律だろうか。日本に生まれて良かった。

 

例えば、潰瘍性大腸炎には、喫煙に予防効果があり、逆に禁煙によってリスクが高まるという研究結果があるらしい。世のなかには、酒より煙草の方が、体質に合う、という人がいて、そういう人は、おそらく何らかの利得があるから、体質に合うのだろうと思う。例えば、自分がなる恐れのある病の予防効果とか。それなのに・・・だのに・・・だのに・・・

 

何が多様性か!!!!!

 

多様性言うなら、なんでアルコールはOKで煙草はダメなんや!!

 

どう考えたって、アルコールの方が、廃人いっぱい生みだしとるやんけ!

よう考えてみ。飲酒による交通事故でどれだけ人が亡くなったよ!?どれだけ依存症者が苦しんだよ!?煙草の方がどう考えたってたいしたことない。煙草は依存が~~って言われてるけど、けっこう簡単に喫煙率80%から15%に落ちたよな?ほんとに依存がひどかったら、国民いまだに煙草喫ってるで。もう8割から15パーまで落ちたんよ。

 

まあ、日本では煙草による税収があり過ぎるから、こういうのは絶対に不可能ですね。

日本ではむしろ煙草ウェルカムにしないと、2兆円という税収がみなさんにのしかかるのですよ。

 

というか、ニュージーランドでも、この手の煙草禁止法ってあったんだけど、結局は撤廃されたんだよね。

 

追記。

どうも、この法案、あの紙巻煙草だけに対する禁止のようで、イギリスでは若い層は手巻き、つまり自分で煙草を巻いて喫う方に移行してるから、あんまり影響は無いものらしい。

パイプの煙

煙草に火をつけるとな、煙になって、無くなっちゃうんだよ。

ああ、うめえっつってな。喫い終わったら、もう、それまであったはずの葉っぱは消えてなくなっちゃうんだ。

 

「なんだか、人生みたいですね」だって?

 

バカ言っちゃいけねえよ。

そんなこざかしいこと聞きたいんじゃねえんだよ。

 

煙草は、うまい。それで充分じゃねえか。

 

そうだろう?

 

そうだよ。

 

そういうことだよ。

消えてなくなるだけじゃねえんだ。確かに、美味かった。それでいいじゃねえか。

なあ?

 

 

パイプたばこは・・・・

パイプはな、

 

せせっこましく、細切れの時間で、喫うんじゃねえんだよ

 

家に帰ってきてから、すぐさまパイプと煙草を取り出して、服も着替えず、吸ってるようじゃあ、余裕がねえ

 

まあ、仕事がつれえのも、しかたねえよな

 

でもな

 

風呂に入って、ゆっくりあったまって、疲れをとってから、パイプを喫ってごらんよ

 

とんでもなく、うめえから

 

できれば、飯もくって、からだもぽっかぽかで、喫ってみろよ

 

うめえから

 

パイプはいいもんだぜえ

 

パイプ煙草はいいもんだ

 

だって、うめえし、癒されるんだよ

 

依存するほど喫いはしねえよ

 

ほんとにいい煙草には、依存できねえんだよ

 

わかったか?

 

わかんねえだろうなあ

 

わかる日がくるさ

煙草を喫う権利に疑問を持つ人へ

喫煙者が煙草を喫う権利を声高に主張したいわけではない。

そうではなくて。

喫煙者が「もう少し喫煙所とか、外でもいいから灰皿くらい置いてある場所があってもいいのではないか」と提案するのは、あくまでも、「多額の税金を国におさめているから」であって、ただ闇雲に「煙草を喫わせろ」と言っているわけではない。

そして、最も重要なのが

「煙草を喫わない非喫煙者も、90年代くらいから税収2兆円を維持、というとんでもない額の税金をおさめてくれている喫煙者をいじめないで、喫わせてやった方が、お互いにWin-Winな関係でいられる」ということだ。

「喫煙の権利を主張する喫煙者ってどう思います?」みたいな感じの非喫煙者の知性ある若者がいたとしよう。若いから、まだお金もあまりないと思う。いや、君たちの世代は、かなり長期間に渡って、私たち老人が恩恵を受けたほどの経済な豊かさを得ることは、現状できていない。喫煙者が減ればへるほど、その分のとんでもない負担は、非喫煙者の君たちにいくのだよ?

煙草は喫わせてやった方がいいし、さすがにこれ以上の増税をやると、喫煙率が大幅にダウンして、逆に税収は減ってしまう恐れがある。

主張ではなく、提案である。

 

 

 

*近頃、(とうか、2020年以前)少し前まであった嫌煙の流れが沈静化していて、なぜだろうと不思議に思っていた。だんだん、非喫煙者が気づいてきたのだ。煙草の税収が減ると、いずれ自分たちから税金をとられることになると。高い税金を払ってまで自分から喫いたい人は貴重なのだと。

煙管と小粋

パイプオンリーになってからも、ときどき、異様なくらいに小粋を喫いたくなる。小粋は本当に旨い。

あんなに旨い煙草があるのに、わざわざ舶来のパイプを喫っている意味がわからん、とも思う。いや、思わん。パイプも旨い。

パイプがすぐに過燃焼してしまうとか、パイプタバコの味がよくわからない、とかいう人は、小粋と煙管で練習したら、パイプは楽に喫えるようになると思う。千円くらいの安い短い煙管でも十分美味いし、むしろ短い方がちょっと喫い辛くて、練習になるかも。っていうか、自分は短い煙管で練習したから、パイプは余裕・楽勝で喫えた。

ワレワレ、もともと煙管とか、小粋みたいな細かいふわっとした刻みを喫っていた器用な民族なのだから、パイプくらい楽勝で喫えてしまう民族だと思う。

というか、外国の方のパイプスモーカーたちの動画を見ていると、けっこう盛大にぶかぶか煙をふかしている。日本人は、「パイプは、ほとんど煙はたたないくらいで、一筋すうっと細い煙がたつくらいでちょうどいい」なんていうが、ぶはーっと外国の方が煙吐いてるのを見て、なんだか茶道だの、刻み煙草だの生み出したワレワレ、なんでも、「芸道」とか「道」にしちゃうのオモシロおかしい(笑)。

作家物のパイプめちゃ沢山コレクションしているくらいのパイプスモーカーのくせに、「自分の喫煙技術なんてまだまだで」とか、そういう言い方している人いっぱいいて、面白いよね。ぜんぜん皮肉じゃないよ。ワレら、ふつーに面白い民族だなって思うヨ。

パイプの本数

持っているパイプの数が少ないという人がたまにいて、なんだか羨ましいと思った事がある。

10本に満たないパイプの数で満足できている人、である。

カゴの中に無造作に5~6本のパイプが放り込んである、という感じで、そのうちの特に4本くらいはかなり使いこまれていて、2本くらいが、外出用というか、人前では綺麗なものを持っていたいという心理が働くのか、見かけが比較的綺麗なものだった。

たったそれだけのパイプの数で、事足りるのか、私にはよくわからない。十分にパイプは乾燥しているのだろうか、とか、心配してしまう。が、当人はまったく満足しているようで、パイプを完全に道具とみなしているのがわかる。

潔い。

私も、彼のように、パイプはまず喫煙のための道具で、あまり審美的価値に重きを置かないタイプのパイプスモーカーではある。しかし、やはり多少のフェティシズムのようなものはあって、実用品として、道具としての美しさは追及しているようだ。

古井由吉という作家がいた。透徹した文体の、極めて禁欲的なところから文が湧いて出ている文章家で、古井氏の過去の「近影」が写されたものを見ていると、作業机にパイプが2本あったのが目についた。かなり使い古されたパイプで、噛む部分も酷く(あるいは見事に?)変色している。2本のよく使い込まれたパイプが、これもまた完全に道具として使われてきた喫うためだけの作業用パイプといった趣きがある。

古井氏がどれくらいのパイプを所有されていたのかはわからないが、写真を見る限り、いつもよく見かけるパイプが映されている事が多く、それほど多くのパイプをコレクションする必要性を持たない方だったのではないかと予想している。

 

5~6本のパイプだけで、長いパイプ人生を送っているという人は少ないのだろうと思う。「どうしてもパイプは増えてしまう」「なぜか気づいたらパイプが増えていた」などと言われるくらいだから。

そういう10本に満たないくらいのパイプで、パイプ収集には満足してしまって、あとは煙草を喫うだけだ、という風になってみたいものである。

齢85になって、いちどはパイプコレクションを手放してしまったのに、いまだに至高の1本に出会うかもしれない、というおかしな期待があって、たまにパイプを買っている。今は、もうこの年齢だから、買った分は、必ず手放すことにしているので、増えはしない。が、減りもしない、というわけだ。

 

そういえば、私もパイプを2本をしか所有していなかった時代があった。まだ若い頃で、パイプを喫い始めたばかりで、金もなかったから、買えなかったのだ。さすがに1本だけでは、すぐにパイプが濡れてしまって、味が薄くなるから、もう1本を買うために書籍などを売り払って、2本を交互に喫った。今みたいに何でもかんでも大量生産される時代ではなかったから、本を売るのもそれなりの金になった。

そういえば、2本だけで、どうやって私はパイプを楽しんでいたのだろうか。金がなく、貧しい暮らしをしていたが、当時は煙草無しではとても生きていく事が出来ないと思い込んでいた。そこから長い年月が経って、部屋がパイプで満たされるくらいにパイプを買えるようになったときには、もうその2本のパイプはどこかへ行方不明になっていた。

惜しい事をした、のだろうか?そういうパイプこそ、持っておくべきだったのかもしれない。

とにかく、あの若かった頃に、たった2本のパイプで、煙草を喫って恍惚とした事はしっかりと覚えている。あの頃は、本当に煙草が美味かった。今の煙草の質が落ちた、とか言いたいわけではまったくない。若くて気力と体力が充実している方が、煙草の味は美味いと感じるものだ。年衰えると、少しの煙で満足するようになる。が、その満足も、きっと若い頃に比べたら、薄いものなのだろう。

それでも、やはり、煙草は美味い。

 

喫煙が見直されてきている世の中の風潮

流行り病の直前辺りが、喫煙者に対するおかしな世論形成の動きを感じる最高潮だった気がする。

流行り病で人々がストレス過多になり、タバコが見直されてきた可能性はある。だいたい、今の若い世代は、少し可哀そうなくらい、お金が無い暮らしを強いられている。そういう生活にこそ、タバコは束の間の安息を与えてくれるものとして、重宝されるはずなのに。

 

ニュースサイトやSNSなどで、喫煙者に対する意見が明らかに変化してきている。流行り病の前までは、「無くなればいい」「法規制すればいい」「もっと値段あげろ」などという無茶苦茶な暴論が飛び交っていたが、今は「たくさん税金払ってくれてるんだから、自分は喫わないけど、喫煙所をつくってきちんと分煙してくれればOK」などという声が多数を占めていたのに驚いた。喫煙者ではないのに「煙草ばっかり値上げするのは可哀そう」という人までいて、ちょっと本気でびっくりしてしまった。喫煙者に対して、無茶苦茶なことを言う人が明らかに減った。

 

そもそも、今の懐事情の苦しい若い世代が、煙草の美味さを見出したら、絶対にはまる。しかも、ワレワレの世代より、上手に煙草を使うはずだ。「昼間は外では喫わないけど、夜だけ家の中でじっくり1時間くらい喫う」「週末だけ、手巻き煙草を楽しみながら、映画を見るのが至福のひと時」、といった若い連中が増えている。ヤツらは、周到に依存を避け、上質な煙草を週末だけ楽しむ、あるいは、1日夜の時間帯だけ楽しむ、という上手な煙草の楽しみ方を覚えてやがる。ワレワレの世代なんか、朝起きたら、まずは顔を洗う前に一服、食後に一服、出勤前に一服、駅前で一服、仕事前に一服、休憩に一服、昼食後に一服・・・という風に、とにかく起きている間は、常に煙をまとわせていた。はっきり言って、狂ってタよネ・・・

 

とにかく、タバコは最高に美味いし、煙を吐きだすのは最高に楽しい。煙を吐いたら、輪っかが出来ちゃった時なんてサイコーにおかしくて腹を抱えて笑っていられる。「あ~輪っか出来た~」って。映画を見ながら煙草と珈琲を楽しめば、ほんとうに精神にゆとりが出来るぞ。人生を少しでも豊かなものにしたいなら、煙草は喫った方が良い。何度も言って申し訳ないが、金のない若い世代が精神的に少しでもゆとりをもって、この厳しい世の中を居心地よくするために、少し煙草を吸うくらい、許されて然るべき。ああ、煙草が喫いたくなってきた。